ー札幌の弁護士事務所に所属していらっしゃったときのお話を聞かせてください。
最初の一年三ヶ月くらいは大きな事務所に所属して修行していました。東京の事務所だと大きい事務所は大企業中心にやっているとか、比較的「分化」・「専門化」が進んでいるんですが、僕がいた事務所は札幌という地方都市で、大きな事務所でも個人から大企業までお客さんがいて本当に幅広い事件を担当している事務所だったのでそれが今の大きな財産になってます。
ー独立のきっかけはなんだったんですか?
食えないほどにはならないんじゃないかなと思っていました。もちろん大変ですけど、どんなベンチャーでも最初売り上げ立つまでは大変な時期があるし。そういう大変な時期があるんだろうけども、ほんと経営が成り立たないことはないだろう、売上は伸びていくだろう、という楽観的な感じでしたね。それが食えるまで十分になるにはどのぐらいかかるだろうという心配はありましたけど。
ーかなりポジティブですね笑
まあね。リスクはあるんだけど、この豊かな日本において飢え死にするぐらいのリスクはないでしょ。少なくとも独身ならフリーターでもなんでも、とにかくなんとでもなる。ただ結婚して家族持っちゃうとね、自分は食っていけるという生活レベルでは、子供とかに色々してあげられなくなるんで、だからリスクとるならシングルのうちっていうね。
結局将来の予測なんか誰にもできないんですよ。どんなに楽観的でいたって、どんなに悲観的でいたって、成功する時は成功するし、失敗する時は失敗する。結果と楽観か悲観かの関係性はたいして無いと思うんですよ。成功する確率が同じなら、だったら楽観的であった方がいいと。確かに本当にどうしようもなくなることもあるかもしれないけど、そんな数%はきっと来ないだろうみたいな万能感でいいんじゃ無いのかな。
ーなるほど、万能感ですね。では弁護士を目指している学生へのアドバイスはありますか
目指さないほうがいいよ、それが最大のアドバイス笑。弁護士はね、これは冗談ではなく、生半可な覚悟ではこっちが精神的にやられちゃいますよ。人の人生背負いますし、責任やかかるプレッシャーも大きいですし、かつ守秘義務を追っていますから誰に対しても愚痴とか吐露できないですし。全部自分で抱え込まなくてはならない。だから鬱病になる人も多いしね。かといってぼろ儲けするわけでもない。その能力とやる気があるなら、絶対ほかの仕事した方が儲かると思う。
安定した生活や、十分なお金、幸せな人生といったものを求めて弁護士を目指すのであれば絶対効率が悪い。報われないことの方が多いですね。商社行った方がいいですよ笑。
だから弁護士っていうのはだから本当に物好きな人しか向いてないと思うんですよ。人の人生を背負い込んで、ある意味人生のどん底みたいなところに寄り添うわけです。毎日毎日不幸な人しかこないですからね笑。その代わり、弁護士という一匹狼で誰からも何も指図されずに、自分の能力と自分の考えだけで切りもりして、そして自己完結しますから、やりがいは大きいですよね。
ー続いて学生時代のお話をお伺いします。大学生活は障害者の権利のための活動に熱中していたと伺いましたが…
ヨット部だったのでもちろんその活動もありましたけど、それ以外はそうですね。そして大学は行かなかった笑。なんせ大学法学部の教室に初めて入ったのは三年生の二月ですからね。試験を受けに。授業は一切出てないし、夏学期の試験も一切受けてない笑
ーきっかけはなんだったんですか?
きっかけは語学のクラスの同級生に誘われて「ぼらんたす」というサークルの説明会に行ったことです。まあその子が可愛かったからついていっただけなんですけど笑。
当時ぼらんたすっていうサークルは12時間交代で24時間365日一人暮らしをしている障害者の人のお世話をするということをやっているサークルだったので僕も先輩に連れられて一人暮らしをしている障害者の横山さんという方のところに行ったんです。そしたらその横山さんとめちゃくちゃ意気投合してしまって笑。本来は顔合わせだけだったのにそのまま泊まっちゃいました。その横山さんがたまたま障害者の「自立生活運動」をされていました。自立生活運動というのは、それまで障害者は病院や施設で過ごしてしまうことが多かったんですけど、病院や施設を出て地域の中で、健常者と同じように恋愛したり買い物したりとか人として当たり前の自由を謳歌する権利を尊重しようというもので、その運動に僕は車椅子を押してついて行くんですよ。
例えば富山で三泊四日して同じ考えを持った人たちが議論したりとか、政策を考えたりとかに参加しているうちに、
やっぱり同じように人間として産まれてきたのに、たまたま先天的または生まれて間も無く障害を持つという、自分自身の努力だけではどうにもならないようなことで、なんで障害者はこんな苦しい生活をしなくてはいけないのか、おかしいのではないか、
もうちょっと障害者に対して、人として尊敬・尊重されて、できる限り五体満足の人と同じようにね、暮らせる社会になるべきではないのかと思うようになった。
きっかけは本当に身近なところで介助した人が、自分の努力ではどうにもならない出産のときのトラブルで脳性麻痺という障害を負ってしまって、そのことで、劇的に不利な、不便な生活を強いられていると思ったことですね。
ーそういった活動は今でも続けていらっしゃるんですか?
そうですね。障害を持っているがゆえに差別されてしまうことがあるんでね。まあ障害者差別解消法っていうのができましたけど、それがある意味長年のゴールであったのでね、今度はそれがしっかりと運用されていくことを監視、見守っていく。それから個別具体的な差別事例はいくらでもあるんでそういったものに対して、「それは差別に当たりますよ。」と指摘していく。人や社会は、結構悪意なく差別的なことをするので。
ー悪意なくですか…?
例えばですけど、公務員の試験で募集のところに「障害者でも受けられます、ただし自力で通勤できること」という項目があったんですよ。自立通勤の時点で、頚椎損傷の人は自立通勤できませんから受けられないんです。それって重度障害者に対する差別でしょ。法律で定められている達成しなくてはならない障害者雇用率があるからどの企業も障害者を雇用しようという気はあるんです。けれど、例えばですけど、車椅子の人で、下半身は麻痺があるけど上半身はちゃんと健常者と同等に仕事ができますという脊椎損傷の人も一人だし、首から下が全部麻痺している頚椎損傷の人も一人だし。同じ一人なら当然脊椎損傷の人の方が企業の戦力としてはいいんですよ。車椅子乗っているぐらいなら、大概の仕事はなんとかなるじゃないですか。でも頚椎損傷の人ならそもそもパソコン持てませんとなるわけですよ。
我々の言葉ではエリート障害者っていうんですけど、障害が軽度の人の方が雇用されやすいんです。けどこれは雇用者からしたら悪意はないんですよ。先ほどの公務員の募集例でも別に頚椎損傷の人がきては困るとは思っていないんですよ。ただ「働くとしたら自分で通勤ぐらいはしてくれなければ困るよね」、みたいな何と無くな感覚で差別してしまっているんです。だからそれを差別であると明確に認識させることが必要なんです。
ー最後に、学生から交流会などでキャリアについて質問されることが多いと思いますが、望月さんが大学生へ何かメッセージを送るとしたら何を伝えたいですか?
別に卒業なんて4年でしなくていいし、10代、20代の紆余曲折なんて誤差でしかないし、引きこもるみたいな一年二年は勿体無いかもしれないけど、何か打ち込みたいことなら全然あとで取り返せるし。むしろそれが有利に働くことの方が多いと思う。
大学在学中に司法試験に受かった同級生とかは僕より5年早く弁護士になっていて、1年目と6年目ってキャリアの差は結構あって、当時は5年遅れだなと思ったけど、そこから10年たつと、10年目と15年目って別にそうでもないかなって。長いキャリアの中では大した差ではなくなってくるんですよ。
20代のうちって「大学はどこですか?」「大学時代何していましたか?」っていうのが聞かれることが多いんですけど、30代になると「20代の時何していましたか?」って問われるから留年していたかどうかなんてどうでもよくて、その人の20代がどれだけ充実していたかが30代の価値を決めます。
ー区切り区切りでリセットされるということですか?
そう。例えば一浪したからといってじゃあ大学生活劇的に変わりますかってそんなことないじゃないですか。一浪したかどうかなんて大学入学した時点でリセットされてしまうんですよ。同じように留年したかどうかは新卒で社会人になったときにリセットされると思うんです。それがさらに卒業後2、3年フラフラしていましたとかそういうのもほぼほぼ30代でリセットされる。
だから僕が学生にいつも言うのは「20代の遠回りなんか30代になったらリセットされるから何にも気にする必要ないよ」っていうことが一つですね。
ー具体的にはどのようなアクションが必要ですか?
とりあえず何か10個始めなさい。10個始めてみたら3日で飽きるものが3個ぐらいあります、3か月ぐらい続くものが3個ぐらいあります。けどそれでいいんです。始めてみて初めて3日で飽きるのか、3か月で飽きるのか、半年、一年続くのか分からないけど、とりあえず10個始めなさい。そして8個飽きたらもう8個始めなさいと。
始めることを恐れないこと、始めたことを飽きてやめることを恐れないこと。なんでもいいから始めなさいということを伝えたいですね。大学生の特権は「失敗」と「無責任」だから。
学生のうちって失敗しても、飢え死にしないし、命取られないし、そもそも失敗することが許されるし。また始めてからこれ違うかなあと思ってやめても、学生ってこんなもんかと見られているから周りに大して迷惑もかけないし。僕もNPO活動とか学生と一緒にやることはあるけど、学生は失敗するし無責任だけどそういうもんだと思っている。僕だって学生の頃いろんなことを始めたし、例えば難民の問題について目覚めたことがあって、日本難民支援協会に一回だけ顔だして二度と行かなかったですよね。それは別に難民支援協会のやっていることに対しておかしいと思ったわけではなくて、本当になんとなくの相性だったんですよ。なんとなく一回行って、継続的に行こうとは思わなかったんですよ。向こうからしたら記憶にも残っていないと思うけど、記憶に残っているとしても一回だけ来て無責任にも来なくなった学生と思われていると思う。ただそれでいいと思っていて、向こうも期待してはいけない。バイトを飛ぶなんてことも何回もあったしね笑。学生には学生だからという理由で無責任が許されている。だから始めたことをやめることを恐れてはいけない。だから始めることを恐れてはいけない。
ー貴重なお話ありがとうございました!