大学を6年かけて卒業、法学部の教室に初めて入ったのは三年の二月、卒業後もフリーター生活。このような異色の経歴を持つ望月さん。ユニークな大学生活を送られた望月さんは「始めることを恐れないこと、始めたことをやめることを恐れないこと」と言う。自身の大学生活、そして弁護士としてのキャリアから学生へのメッセージまで話を伺った。
- お名前:望月宣武(もちづきひろむ)さん
- 年齢:39歳
- 経歴:静岡県出身。東京大学法学部在学中はヨット部と「ぼらんたす」サークルを中心とした障害者福祉のボランティア活動に夢中になる。大学を6年かけて卒業、フリーター生活を経て弁護士になるために北海道大学大学院に入学。2006年に司法試験に合格。札幌市の大手法律事務所に就職するが、当時の先輩弁護士の言葉をきっかけに2009年に独立し、東京で日本羅針盤法律事務所をひらく。現在東京オリンピック・セーリング競技にも携わる。
ー望月さんは日本羅針盤弁護士事務所代表を勤めていらっしゃいますが、具体的にはどのようなことをされているのですか?
私がやっている弁護士としての業務内容は主には喧嘩。
個人であれ、法務であれ、基本喧嘩ですね。毎日が殴り合い。
交渉も要するに法律を使った合理的な脅迫行為であって、例えば、「あなたが私の要求を聞かないのであれば私はあなたを裁判所に連れて行きますよ、行きたくなかったら私の要求を飲んでください、裁判だったらあなたの言い分は通らないと思いますよ」と。勝てる裁判なら強気に、裁判になったら厳しいなと思ったら「おたがい裁判になりたくないですよね、だからこの辺で手を打ちませんか」という交渉の仕方になる。上からいく場合もあれば平身低頭路線もあり交渉の仕方は様々で、正解はないのでいろんなやり方がありますね。
ー合理的な脅迫、ですか…
脅迫といっても語気強く鋭く迫るわけではなく、裁判の回避を促すことです。裁判を回避したい時の動機としては、「裁判になったら不利な判決となる可能性が高い」または「時間と費用のコストをかけたくない」の二つがあるので、どちらかに訴えかけるんですね。だいたいこの二つがポイントですね。
ーそうした喧嘩の中で、弁護士としてのやりがいはできるだけ良い結果を依頼者にもたらすことですか?
そこにやりがいはないです。
この仕事って人の人生かかっているので。面白いとかゲーム的な感覚よりもそうやって自分のとこに相談に来た時には人生の一大局面で、人生の終わりみたいな顔をしてくる人が、解決策を見つけて次の人生を歩めることのお手伝いができたということがやりがいであり、この仕事をしている上での重要な動機です。
企業の相談においても、僕がやるのは基本的に日常的な書類のチェックというよりは企業としての存亡をかけたものが多くて、結果によっては企業が潰れますとか会社が潰れちゃうこともあるわけですけど、それでもその従業員一人一人の次の人生を考えてあげたり、会社畳んだからって人生終わるわけではないので経営トップの人の次の人生のお手伝いをしてあげたり。
個人であれ企業であれ大概誰かの人生かかっているのでそこは重たいですけど、弁護士にしかできないことでもあり、やりがいですね。
ーそうした大志を抱き弁護士を志したことには何かきっかけはありますか?
もともとね、高校生の時に自分の尊敬していた人が亡くなって、自分の地位や名誉とかお金のために頑張ったって、死ねば終わりじゃんっていう意識が芽生えて。
「自分が生きていた証って社会や人のために役立った方が残るからそういう人生を歩みたいな」って思って、大学でもそういう思いを持って過ごしてきました。
まあそんな崇高な理念を掲げていましたけど、大学卒業に6年かかるくらいでしたしたくさん遊んでいましたし卒業後もよくいうと「フリーランス」、悪くいうと「フリーター」みたいな生活をしていました。
ここらで資格でも取ってしっかりと腰を据えないと社会にとってなんの価値もないような人になりかねないぞという危機感を24〜25歳の時に持って、そこから真面目に勉強しようかなと思い大学院に入りました。
ー人のために役立つ仕事って弁護士以外にもたくさんあると思うんですがなぜ弁護士を選ばれたのですか?
そう、別に弁護士でなくてもよかったんですよ。今でも別に弁護士にこだわるつもりはなくて、人のため、社会のために役立つのであればなんだっていいんだけど。たまたま自分が法学部を卒業していて、手っ取り早く人の役に立てるなと思い、とりあえず弁護士資格は取っておこうと思ってとりました。だから弁護士っていうのはあくまでツールです。
ただまあ、弁護士っていうのは日本では他人の権利を代理して主張できるっていう非常に広い権限を持っている。そういう意味では手っ取り早いですよね、自分の権利を主張できなくて困っている人の代弁者となってその人の権利や人権を守れるわけですから。