こんばんは、本日から約2ヶ月に渡ってお送りする「卒業生インタビュー企画」!
ドリームネットでは交流会や語る会などで東大卒業生を数多くお招きしています。
メンバーが卒業生から貴重なお話を伺ってきました!
記念すべき第一弾は新木仁士さん!
・お名前:新木 仁士さん
・卒業年度:平成25年度
・ご経歴:東京大学大学院卒。2014年株式会社meleapを設立。当初はCTOとして、商業ベースに乗るまでHADOの基本設計や0→1のプロトタイピングを手がける。現在の役職はCAO(Chief Architecture Officer)。チーム設計、採用人事を担当。
エナジーボールを撃ち合ってバトル!
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— HADO (@hado_info) February 19, 2018
ー新木さんはmeleapで何をなさっているんですか?
現在は採用人事を中心に、組織作り、文化作りに注力しています。また、業界をもっと盛り上げたい、meleapを知って頂きたいという想いからクリエイティブ界隈のコミュニティ活動にも力を入れています。CAOの前は、CTO、つまり最高技術責任者でした。HADOを作るにあたって、要素技術検証から全体設計をし、アプリ・ハード含めてチーム制作で推し進めるなど、HADOを生み出すことに必要なこと全てに取り組んでいました。当時もそうですけど今はより強い想いで、膝がガクガクするほど面白いものを世界中に届けよう、というのを目標にしてやっています。
ーどういったきっかけでHADOを作ったのでしょうか?
meleapのビジョン、『膝がガクガク震えるほど面白いサービスを世界中へ届けたい!』が先にあり、このビジョンに沿って事業のアイディア出しをたくさんたくさんしました。例えば他にmeleap設立当初にあったアイデアとしては、空を飛びたいとか、瞬間移動をしたいとか、水中で呼吸をしたいとか。現在の技術、市場状況等を考えてかめはめ波かなと。
例えば瞬間移動は量子テレポーテーションの技術の延長線上でいける気がするけど、移動するには二箇所に機材が必要で片方作るのに何億円かかるんだよ?とか、そもそも何年後に実現できるの?とかなっちゃうんですよ。でも当時は真面目に実現に向けて考えてた。
一方でARを使ってカメラ映像にCGを上乗せすればかめはめ波撃ちあえるんじゃないかと思いました。それとリストバンドをつけて自分の思い通り操作する感じで。目視で見える映像検証、腕の振り方のスキル認証検証などを半年程度取り組み、一人でHADOやるには思っていたよりも簡単にできそう、となったんだけど、複数人でリアルタイムで一緒に楽しむにはどうしたらいいのか、さらに半年ほどデモを行えるようになるまで時間を要しました。
(男の…ロマン…)
meleapを設立する前は富士通で主に二つの仕事をしていました。
一つはソフトウェア開発の炎上プロジェクトに飛び込んで、ソフトウェアの構成管理中心に問題解決をしていくお仕事。もう一つは修士の頃の経験を生かしてデータマイニングを使ってコンサルチックなサービスに取り組んでいました。例えばサポートセンターに数千件、数万件のQ&Aが届いて、問い合わせの件数は多いけども実施に手がかからないものはSmall start & Quick win でさっさとやっちゃいましょう、件数が少ないけど影響範囲がものすごく大きいものも早い段階から着手しましょう、といったものです。
ーどうして富士通をやめて起業なさったんですか?
実は起業は二十歳くらいから考えていました。アルバイト等を通して,うまくサラリーマンやれそうにないなと思ったんです。アルバイトで社員の人にこれやってと言われても、全部「なんで?」って思っちゃうんだよね。腑に落ちないこととか、順序立てて考えるとおかしいって思うことは、おかしいって言ってしまう。
だから自分はサラリーマンよりも自分で物事を考えて面白いことを人生かけてやりたいと思っていたから起業するのがいいと学生の頃から決めていました。そしてワガママだけど日本で起業したかった。日本が大好きだから、生活のベースや拠点は日本にしたくて。だから日本の企業の仕組み(特に意思決定や社内プロセス)がどうなっているのか知りたかったので卒業生して富士通にお世話になりました。今になって思うと申し訳ない気持ちが半分、懐がめちゃくちゃ大きい企業だと思う気持ちが半分で、富士通にはとっても感謝してます。
ー学部と院ではなんの勉強をしていらっしゃいましたか。
学部は東京理科大学工学部第一部建築学科で、意匠設計をしていました。4年生の時は歴史系の研究室で熱海に20回ほど通って戦前から2000年過ぎの頃まで街区や街並みの歴史変遷を調査して卒論を書きました。実は僕の卒論、熱海市立図書館に置いてくださったりしてます笑。
大学院は東京大学大学院で人間環境学を専攻していました。そこの研究室は企業との共同開発をしていて、その中にもっとITを取り入れて便利にしよう、効率化しよう、といった研究をしていました。
僕がやっていた研究はどれだけ早く歴史の研究ができるかということをしていました。平賀譲という方がいて、この人は軍艦設計をしていて資料が60万点ほどある。この歴史研究をする研究者の方はいるんだけど、やはり人手が足らなくて全然進まない。原因としては、歴史を研究するに前提としてミクロなレベルでの知識インプットが必須。それと平賀さんの資料の量が膨大。当時の資料は草書で書かれていたりして学部生はそもそも読めなかったりします。資料の書き下し文は先輩や研究者の方がつけてくださったものがあったのですが、どの資料から手をつければいいのか全く分からない状態だった。そのため、書き下し文からキーワードの抽出、タグ付けをするとともに、オントロジーといったツリー状の辞書データを使用する検索アルゴリズムを併用して、人間の脳のようなひらめきを検索結果として表示できるようにしていたりしました。そしてその検索結果で得られた知見をエディターで資料に追記できるようにし、研究者の皆さんの集合知をより大きくできるような全体構成としていました。
ー大学で建築を学んでいたのに、大学院で人間環境学を専攻されたのは…?
学部3年の時に少しだけ就職活動をしてみました。でもやばい(悪い意味で)って思ってしまった。日本にいたいと僕は思っているんだけど、日本の土地は狭くて平野部にはほとんど建築が立っちゃってる。でかい建築物、体育館、美術館、博物館を会社や設計事務所が作りたいですって言ってももう土地がない。やるとしてもイノベーションとか、内装をちょっと変えるくらいで、取り壊してまで作る、ということがなかなかない。そして、建築って1件あたりの建設に要する時間がアプリ制作の比じゃないくらい、長い時間がかかる。そうすると自分が生きてる間に関われる案件はいったい幾つになっちゃうんだろうって思いました。
でもプログラミングだったらいつでもどこでも作れるし、2,3ヶ月集中して取り組めばそれなりのものを作れるし。僕は日本にいたいから。日本にいるなら本業は建築よりも情報が良さそう、と当時は考えました。そして当然だけど情報産業はこれから発展する可能性がまだまだ大きい、と考えたのも理由の一つです。
ー東大の大学院を選ばれたのはどうしてですか?
僕はまず生活の拠点を日本にしたいと思っていた。なぜなら、日本が好きだから。それで日本で一番と言われる場所をのぞいて見たかった。でも学部では建築をやっていたのもあって、プログラミングやソフトウェアに関する知識は入学当初、本当にかわいいレベルだった。周りはすごい人達だらけで、もちろんばりばりコードを書いてきました、当然地頭もめちゃめちゃいいみたいな。加えて、入った研究室の教授にはかなり厳しく指導してもらった。顔合わせる度に卒業させられないって言われちゃうとか笑。入学1週間経たずに入るとこ間違えたかな、と。でもその厳しさが自分の糧となり、今の自分がいるので今となっては感謝しています。
最後の修論提出が終わった後、家に帰って飲んだ、ただの水が信じられないくらい美味しかった。光に透かすと虹色に光って見えるんですよ笑。今になって思いますが、誰かに厳しい態度を取り続ける方も大変だっただろうなと思います。なぜなら厳しい態度を取る側も単純に疲れるしストレスも絶対溜まりますから。毎週進捗をチェックされるから、毎日を必死に生きていましたね。
ーどんなモチベーションで今の仕事をしていらっしゃいますか。
一番のモチベーションは、プレイした人が笑顔になってポジティブフィードバックをしてくれることですね。こんな体験初めてした!って言ってくれたり、プレイ後にほぼ100%笑顔になってくださる。かめはめ波打てるのやばい!、とか。あとプレイする方々にそれぞれの世代に応じて、え、あの漫画やアニメ、ゲームの世界に入れるの?!って言ってくれたりとか。すごくモチベーションが上がります。だから同時に実施しているイベントが2,3箇所あったとしても、できれば全部現地に行きたい笑。
ーこれから先の人生で成し遂げたいことはなんでしょう?
特に今は採用人事に力を入れており、ヘッドハンティングのようなこともしていて、そしてAR業界、クリエイティブコミュニティ全体を盛り上げる活動に注力し始めています。AR業界のBtoCビジネスに取り組んでいるサービス会社で回り始めている会社は本当に数少ないです。特に体を動かしてプレイするサービスとなると世界中を見渡してもほとんどいない。それがすごく切なくて、変な意味でガラパゴス化しちゃいかねないので、同じ業界で切磋琢磨できる人・会社をイベント等で出会えないかと探したり、学生さんにもこういう面白い業界があるんだよ!と興味を持っていただけるように活動したり。
とにかくテクノスポーツを世界全体に届けたい。2月頭にロサンゼルスのメディア、VRScoutさんに取り上げて頂いて、バズっています。世界中から数百件以上の問い合わせがきており、セールスチームがうれしい悲鳴を上げています。第5期が始まったばかりなのに、今年の売上目標半分強の目処が立ち始めています。世界中に届けたいテクノスポーツの1つめがHADO。
あと僕がこの会社にどれくらい尽くせるか。創業者って立ち位置として結構難しくて、どんどん仕事が細分化されて明確になっていくんだよね。そうするとその道のスペシャリスト呼べばいいじゃんってなる。だから僕のやるべきこととしては、meleapって会社の文化づくり、チーム作りです。例えば、デスマーチを発生しないようにしよう!と。デスマーチが発生するとバグが次々と発生したり、人間関係がおかしくなったり、健康を害する人が出たり。そして、いい人は辞めてしまうことになったりする。そうならないようなチーム体制を作りたい。
ー最後に学生に向けてメッセージを。
いろんな業界でインターンさせてもらうのが良いと思います。業界によっては、好きだと思っていたけども、実際会社の中に入れてもらって実務を目にすると自分にはあまり合わないなと感じることもあると思います。そういうのって一度その業界の会社に入ってみないとわからない。話を聞くだけだと、どうしてもその人のポジショントークを聞くことになる。その人自身が所属する会社や業界のいい話が中心になるし、わるい話もその人観点になる。だからインターンをして、自分自身の目で見定めてみると良いです。
ー大変貴重なお話をありがとうございました!